2013年1月 第15号

被災地の今

師走の慌ただしい12月20日から21日、約7カ月ぶりに東北へ行ってまいりました。今回の目的は義捐金を被災地に直接お届けすることと、東北の現状をこの目で見てくることです。訪れたのは岩手県大槌町役場。ここはもともと大槌小学校で、役場が津波被害を受けたために移転してきたのです。
中に入ると、建物は修復を受け、非常にきれいでした。また職員の方々の対応も丁寧で、復興へしっかりと進んでいるように見えました。今回の義援金は目的を分けて寄付させていただいております。泰雲寺と全洞院の法要や行事でご協力いただいたり義援金は町の復興のため。私が被災地へ赴くことを知って、お預けくださったものや、私が個人的に用意した義援金については、被災者の方々の支援のためにという思いを込め、寄付させていただきました。

岩手県大槌町役場跡にて

役場をあとにし、車で数百メートル走ると、突如、廃墟と化した建物が目の留まりました。車から降り、建物の前に立つと、震災前は大槌町役場であったことが分かりました。津波の直撃を受けたであろうと思われる建物の窓はすべて吹き飛んでなくなっていました。
また建物の前には祭壇が設置されており、たくさんのお供え物が手向けられていました。私はあらかじめ用意してきたお線香をお供えし、ご冥福をお祈りしました。大槌町では、町長をはじめ、多くの職員が津波の犠牲になり、行政機能が一時マヒしました。きれいになった役場で活気に満ちた様子を拝見した一方、そこで働く職員の方々は深い悲しみを背負って頑張っているんだと、胸が締め付けられる気持ちになりました。
津波に襲われた町の様子は瓦礫こそ、大半が片づけられましたが、辺り一面に広がるのは基礎だけが残された元家屋や解体もままならず放置された大きな建物だけでした。また高台への移住計画も思うように進まず、多くの方々がまだ仮設住宅での生活を余儀なくされていました。
そんななか、ひょっこりひょうたん島のモデルとされている無人島「蓬莱島」の灯台が復活したと聞き、その灯台を見てきました。津波で流された灯台は一般公募によって選ばれたデザインで再建され、1年9か月ぶりに明かりがともりました。

宮城県気仙沼の復興

大槌町を離れ、車で海沿いを走っていました。釜石市、大船渡市、陸前高田市と被害の大きかった地域の様子を目の当たりにしました。そしてお土産屋さんを見つけて少しでも売り上げに貢献できればと買い物をしました。
2時間ほど車で走ると、宮城県気仙沼市に到着しました。気仙沼を訪れたのは昨年8月のボランティア活動以来です。前回、昨日していなかった信号機が動いており、車の往来も多くなっていました。仮設での商店街が数か所あり、活気が戻りつつある様子がうかがいしれました。またボランティアで片づけや掃除を行った商店も営業していることを確認でき、ホッとしました。

2012年6月 第13号

被災地・福島へ往く

福島県・双葉町といえば、原発事故の影響で埼玉県加須市に全町避難していたことでご存じの方も多いでしょう。現在、約半分の町民がいわき市の仮設住宅に移住しています。3月に傾聴ボランティアとしてこの地を訪問しました。高い放射線量のため帰宅できず、先の見えない生活を強いられている方々に対して、慎重に言葉を選びながらお話を伺いました。

感謝の気持ちを仏様に

このとき、ある年配の女性は「震災以来、毎朝、毎夕、仏様に『今日も命があって本当によかった。有難うございました』とお参りするようになりました。また、孫が食べ物を必ず仏壇にお供えしてから食べるようになったんです」とお話になりました。この女性の言葉やお孫さんの姿には、震災被害を体験してきた重みを感じました。

またある方から「ご先祖さまのお墓が倒れてしまったが、立ち入り禁止区域で直すことができない。これではご先祖さまに申し訳が立たない」というお悩みをお聞きしました。
私は「今直すことができなくてもご先祖さまを大切にする気持ちを持ち続けていれば大丈夫ですよ」と答えると、安心していただけたようです。
今回お会いした方々は明るく接してくださいましたが、皆それぞれ悩みを抱えていました。そんな方々の言葉や気持ちを聞く傾聴活動はこれからも必要とされることでしょう。今後も継続していきたいと思います。

飯館村へ。警報ブザーが止まらない

5月下旬、原発事故の現状を知ってほしいという福島市在住のご住職さまのご案内のもと、飯館村も訪ねました。飯館村は飯館牛をはじめ、農業で成功した豊かな村でした。しかし、原発事故の影響で全村避難を続けています。村には当然人がいる気配はなく、田んぼはどこも荒れ放題でした。線量計で放射線を調べると毎時2.6マイクロシーベルトを示し、警報ブザーが鳴りっぱなしになっていました。
これを年間の線量にすると22ミリシーベルトを超えます。年間の被ばく量の限度が1ミリですからとても人がいられる地ではないことがわかるかと思います。放射線の影響は目に見えないだけに恐怖を感じられます。

子どもたちに負の遺産を残すな

原発再稼働が避けられない状況になっています。福島第一原発事故は過去の出来事になってしまったのでしょうか? 国は電力会社の経営安定のため、破たんしたときの負債を引き受けたくないためだけで再稼働を進めているようにしか思えません。30年後、今の子どもたちが大人になったとき、日本はどんな様子になっているのでしょうか?「30年前、親父たちは何をやっていたんだ!」と言われてしまいそうです。
そう言われないためにも、私は震災や原発事故の被害に遭われた方々のことを考え、支援活動を続けていきます。私の体験を通し、福島の現状を皆様が少しでも興味を持ち、復興への気持ちを高めていただけたら幸いです。

泰雲寺住職 合掌