全洞院のご案内

布袋尊をまつる、越生七福神めぐりのひとつ

泰雲寺の住職がお勉めするもうひとつの寺院・全洞院は、岩松山と号し、御本尊様に弥陀を安置しております。越生七福神めぐりのひとつとして、地元の人々が親しまれてきた寺院です。御祭りしているのは布袋尊で、富貴繁栄、福運大量のご利益をお授けしてきました。墓所には、全洞院近くで自刀した幕末の志士・渋沢平九郎の墓もあります。

若き志士・渋沢平九郎、悲劇の最期

渋沢平九郎がこの世を去ったのは、幕末の1868年5月23日。「振武軍」を中心とする旧徳川幕府方と明治新政府方との間で行われた飯能戦争のさなかに若い命を散らしました。平九郎は日本資本主義の父といわれる渋沢栄一郎の都合養子で、旧徳川幕府方の振武軍の副将に任命され、飯能市羅漢山(現・天覧山)に立てこもっていたのです。

その際、振武軍は官軍3000名の総攻撃を受け、平九郎は肩に重傷を負いながら故郷の下手計村(現・深谷市)に退れようと、顔振峠を通ります。このとき、茶屋の主人に落人姿では危ないと言われたため百姓姿に身を変えましたが、越生町まで進出していた官軍に発見されてしまいました。
その後、藁包に忍ばせてあった小刀で抵抗するも、多勢に無勢、利あらずと、平九郎は近くの大岩に座って自刃したのです。享年22歳。その後、平九郎の首は官軍によって越生にさらされましたが、胴体は村人の手によりこの全洞院に葬られました。

平九郎グミの由来

平九郎が自刃した大岩の脇に生えたグミは平九郎の血を吸ったといわれています。そのため、実は平九郎の血を宿すとされ、枯れるまで「平九郎グミ」と呼ばれていました。現在では、平九郎の碑が建てられ(写真上)、その霊をお慰めしています。